ネイズビー Naseby 2005 5 19
1645年に始まった「ネイズビーの戦い」は、今なお、終わっていない。
そう、地球を一周していない。
中央アジアの政治的混乱を見て、
「ネイズビーの戦い」は、まだ終わっていないと思いました。
ネイズビー Naseby 2004 5 25
1625年に国王となったチャールズ1世は、
父王ジェームズ以上に、専制政治を強化した。
そのため、議会は、「権利の請願」を提出し、
「議会の同意がない課税」や、
「法律に基づかない逮捕や投獄」をやめることを、国王に約束させた。
しかし、これに対し、国王は、結局、議会を解散し、
約11年間、議会を開くことなく、専制政治を行うことになった。
こうして、王党派と議会派の対立は、深刻なものとなり、
ついに、ある事件を契機に、イギリスは、内乱状態となった。
議会派の中心であったクロムウェルは、
近代的な軍隊に近い「新型軍」を編成し、
1645年に、「ネイズビーの戦い」で、王党派の軍隊に大勝した。
1649年には、国王が処刑され、議会派が、共和政を打ち立てた。
これが、ピューリタン革命と呼ばれることになった。
これは、昔話と思うでしょうか。
しかし、現代にも、「王」がいます。
それは、「独裁者」や「議会を軽視する大統領や首相」のことです。